院長プロフィール

立原 裕司(たちはら ひろし)
昭和63年11月 尼崎市生まれ
関西医療大学 保健医療学部 鍼灸学科(スポーツトレーナーコース)2011年 卒業。

株式会社あどばんす入社

鍼灸師として施術をしながら、専門家の指導を受けながらカイロプラクティックを学ぶ。

冨金原カイロプラクティック学院に入学(68期生、通い続けて現在8年目)

こころ大阪北鍼灸治療院に入社

来院できないご高齢の方を訪問して鍼灸治療にあたる。

令和元年 5月

尼崎市次屋に、トータルコンディショニングサポート TOUCH-たっち-開業。院長となる。

資格

はり師免許(国家資格)、きゅう師免許(国家資格)

日本DRT協会認定治療家

院長 立原 裕司 はこんな人間です

時代が昭和から平成にかわる少し前の昭和63年、ここ尼崎市に生まれました。

ちょっとはずかしいですか、右が3歳のころの私の写真です。

家にピアノがあり、音楽好きな少年でした。

 

小学生になり、まわりのからの影響もあってか、サッカーや野球が好きになりました。

喘息持ちだったので、その改善のために水泳を小学校6年間続け、スポーツを通じて、他校にもたくさん友達ができました。        

中学生になって、野球部に入部。

勉強そっちのけで、毎日夢中になって練習していました。

当然、ケガすることも多く、近くの鍼灸院に通ってました。

多感で好奇心旺盛な思春期だったこともあり、そのころ人の身体と鍼灸の世界に強く興味を持ちました。

卒業文集の将来の夢には、「鍼灸師になる」と書きました。

音楽に興味を持って、初めてギターを持ったのもこの頃。

転機が訪れたのが、高校時代。度重なるケガと症状悪化のため、大好きだった野球を諦めざるを得ませんでした。

その穴を埋めるように、ギター、ベースを弾くようになり、音楽にのめり込んでいきました。

また同じ頃、タッチラグビーと出会いました。

進学は迷わず、鍼灸を学ぶために鍼灸学科のある、関西医療大学 保健医療学部を選びました。

鍼灸と共に日本体育協会ATも一緒に勉強しました。

アルバイトも、病院のリハビリ室をあえて選んだりしていました。

このころから、自分は手先が器用で、指の感覚にも自信が持てるようになりました。

ホント、僕って治療家になるために生まれてきたようなもんです(笑

 

ただ、正直、このころの自分は知識の部分をちょっとおろそかにしていました。

修行時代

株式会社あどばんす入社(分院2年、本院3年副院長)

この時にカイロプラテックに出会ったのです。

院長の紹介により冨金原カイロプラクティック学院に入学(68期生、通い続けて現在8年目)

し、私の今の治療技術の基盤となってます。

修行3年目に、自信を持っていた感覚だけではダメだと気づき勉強開始。

訪問鍼灸の勉強をしたくて、こころ大阪北鍼灸治療院に入社。

院に来ることができないご高齢の方の治療をしました。

営業なしで施設、ケアマネ、噂を聞いたご家族からの紹介のみで次々患者さんがくるようになり、1年で予約の空き待ちがでるようになった。

一般の方(老人ホームのスタッフ、ケアマネを含む)向けのセミナー(東洋医学、鍼、灸)もやらせてもらいました。

並行して自宅の一室を使い、会社とは別で治療を始めました。

そこでは紹介のみで、友人、知人を中心にスポーツ選手や音楽関係の方を治療しました。

Jリーガーもきたことあり、社会人サッカー、野球、バスケのトレーナーとしても活動していました。

私が開業した理由

治療家の道を目指すきっかけは、学生の頃、野球をしていた時に起こった肩のケガで鍼灸治療を受けたことです。ボールを投げるどころか日常生活にも支障が出るほど強い痛みがありました。ところがある治療院で鍼灸治療を受けると、どんどん良くなり1ヶ月もしないうちにボールを投げられるぐらいまで回復しました。 この出来事は、絶望的な痛みから解放された喜びとともに、鍼灸への興味へとつながり鍼灸を学びこの道を志すきっかけになりました。

私は、野球を含めたスポーツ全般を見るのもプレーをするのも大好きなこともありプロ、アマ問わず体のサポートをしたいと思いスポーツトレーナーの勉強もしてきました。 また、施術の幅を広げるために治療理念が納得できたカイロプラクティックも学びました。 今、「はり」「きゅう」といった東洋医学が再び見直されてきています。かつての私を救ってくれたように不思議な力があります。

東洋医学の「鍼灸」、アメリカが発祥の「カイロプラクティック」。

この2つを軸に皆様のお体に元々備わっている「自己治癒能力」を最大限に発揮し自分自身で改善することができる体づくりを目指し、ケガや痛みでやりたいことを諦める人が1人でもいなくなるようにと、願いTOUCH‐たっち‐を開業しました。

 

また、スポーツをしていた時から音楽を聴くのが好きで、気分を上げたいとき、落ち着きたいとき、に色々な音楽を聴いていました。ケガでスポーツを諦めたときにやることがなくなった私を救ってくれたのも音楽でした。

ギターやベースを弾いていましたがその時に、かなり負担がかかると知りました。歌うのに全身を使うということも…。

音楽に救われたことのある人は多いと思います。ですがその音楽を提供してくれているアーティストさんはどうなんだろうと思い、アーティストのケアに何が最適かを勉強しました。

アーティストがベストを尽くせる状態にすることはアーティストだけではなく音楽を聴く人の為にもなると思っています。

たっちのミッション(使命)

強くなりたいジュニア・ユースアスリートを鍼灸と整体の一流の施術で、身体のコンディションを整え守るお手伝いをします。
活躍するプロ・アマのスポーツ選手を、身体の面からサポートし、選手寿命を伸ばすお手伝いをします。
音楽アーティスト、ミュージシャン、声を使う職業の方のために鍼灸で「声帯」を整え、あなたの美声を守ります。
私が生まれ育った地元尼崎のこの地域で、みなさまの健康づくりにお役にたちます。
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推薦者の声

泉佐野市
さの整骨院・鍼灸院 院長

松本 克也 様

この度の独立起業、治療院の開院、まことに素晴らしい努力の賜物です。おめでとうございます。鍼灸、整骨などの東洋医学、ケガや手術後のリハビリなどの西洋医学、カイロプラクティックを取り入れた「さの整骨院・鍼灸院」の副院長として、東洋医学・西洋医学のどちらの長所もよく理解し取り入れて施術に活かし、どちらの短所も理解して課題に取り組む姿勢を培ってこられました。 またその傍、地域のスポーツ選手・チームのトレーナーなどのボランティア活動もされてきました。

私たち治療家の目的は、私たちを頼って来院されたみなさまに健康になって喜んでいただくこと。

一度会えばきっとみなさまお判りになると思いますが、立原先生は、持前の明るさ優しさと、常に課題を見

つけ向上心を忘れない自分への厳しさを合わせ持っています。

「一人でも多くの方に、健康で笑顔になっていただきたい」という思いを胸に抱きながら。立原先生に、安心してみなさまのお身体を任せることができると思い、ここに推薦致します。

泉佐野市
さの整骨院・鍼灸院 院長

松本 克也 様
この度の独立起業、治療院の開院、まことに素晴らしい努力の賜物です。おめでとうございます。鍼灸、整骨などの東洋医学、ケガや手術後のリハビリなどの西洋医学、カイロプラクティックを取り入れた「さの整骨院・鍼灸院」の副院長として、東洋医学・西洋医学のどちらの長所もよく理解し取り入れて施術に活かし、どちらの短所も理解して課題に取り組む姿勢を培ってこられました。 またその傍、地域のスポーツ選手・チームのトレーナーなどのボランティア活動もされてきました。 私たち治療家の目的は、私たちを頼って来院されたみなさまに健康になって喜んでいただくこと。 一度会えばきっとみなさまお判りになると思いますが、立原先生は、持前の明るさ優しさと、常に課題を見 つけ向上心を忘れない自分への厳しさを合わせ持っています。 「一人でも多くの方に、健康で笑顔になっていただきたい」という思いを胸に抱きながら。立原先生に、安心してみなさまのお身体を任せることができると思い、ここに推薦致します。

堺市
かがう鍼灸院・整骨院 院長

加賀宇 康代 様

立原先生は患者さんに寄り添い、患者さんの為に何ができるかを常に考えている先生です。

一緒に勤務していた時からポジティブで、ムードメーカー的存在でした。

学生の患者さんからは、治療だけでなく、いろいろな相談ができる兄貴の様な存在だったと記憶しています。

立原先生がいらっしゃる場所はいつも笑い声が聞こえ、確かな技術と知識が患者さんに安心を与えているのだと思います。

 

施術に関してはちょっぴり頑固なところがある、一本筋が通った正統派の治療家。そんな立原先生を、自信を持って推薦致します‼

堺市
かがう鍼灸院・整骨院 院長

加賀宇 康代 様
立原先生は患者さんに寄り添い、患者さんの為に何ができるかを常に考えている先生です。 一緒に勤務していた時からポジティブで、ムードメーカー的存在でした。 学生の患者さんからは、治療だけでなく、いろいろな相談ができる兄貴の様な存在だったと記憶しています。 立原先生がいらっしゃる場所はいつも笑い声が聞こえ、確かな技術と知識が患者さんに安心を与えているのだと思います。 施術に関してはちょっぴり頑固なところがある、一本筋が通った正統派の治療家。そんな立原先生を、自信を持って推薦致します‼

大阪市平野区
結鍼灸整骨院 院長

越川 朋織 様

立原先生とは学生時代から共に学び夢を語り合ってきました。

今でも症例や治療の話をよくしますが治療に対してや患者さんとの向き合い方などとても高い意識でやっていることにいつも関心しています。正直、やっと開業したか…と思うぐらいです。

私はマッサージ主体の筋肉治療をしており立原先生とは治療方針はかなり違いますが、それでも鍼やカイロプラクティックで総合的に診てくれる立原先生の治療は効果が高く感じました。

知識や技術だけではなく人当たりの良さも飛び抜けているのでどのような方でも安心して受けてもらえると思います。

大阪市平野区
結鍼灸整骨院 院長

越川 朋織 様
立原先生とは学生時代から共に学び夢を語り合ってきました。 今でも症例や治療の話をよくしますが治療に対してや患者さんとの向き合い方などとても高い意識でやっていることにいつも関心しています。正直、やっと開業したか…と思うぐらいです。 私はマッサージ主体の筋肉治療をしており立原先生とは治療方針はかなり違いますが、それでも鍼やカイロプラクティックで総合的に診てくれる立原先生の治療は効果が高く感じました。 知識や技術だけではなく人当たりの良さも飛び抜けているのでどのような方でも安心して受けてもらえると思います。